栃木・福島・宮城の囲碁交流会は歴史的に見ても珍しい文化交流
園長の吉沢偉仁(よしざわひでひと)が尽力した栃木、福島、宮城の三県にわたる囲碁交流会(囲碁合宿)の開催は、歴史的に見ても珍しい文化交流でした。特に、関東地方と東北地方の境にある「白河の関」を越えた文化的な交流は、これまでの歴史の中でほとんどなかったと言えます。
白河の関と地域の区分
・白河の関は、奈良時代から平安時代にかけて、都と陸奥国(現在の東北地方)を結ぶ東山道の要衝に設けられた関門でした。
・当時の栃木県は下野国、福島県から北は陸奥国という区分であり、白河の関は古くから関東と東北の境目として認識されていました。
・この関所は、大和朝廷が蝦夷(えみし)と呼ばれる独自の文化を持つ人々を支配下に取り込むための軍事拠点であり、人々の出入りを取り締まる重要な役割を担っていました。そのため、当時は関を越えることが困難であり、文化的交流が限定的でした。
・現在でも、白河を境として「白河以北」という表現が東北地方を指す言葉として使われることがあります。
東北と関東の文化的背景
・東北地方と関東地方には、地理的、気候的、文化的に大きな違いがあります。
・東北地方は寒冷な気候で、伝統的な祭りや民芸品が多く、農業や漁業が産業の中心です。
・歴史的背景や地理的条件から、両地域の文化的な交流は限定的であったと考えられます。
園長が発案し企画運営を行った三県にわたる囲碁交流会は、このような歴史的・文化的な背景を持つ地域間での、画期的な文化交流の機会であったと言えます。
福島囲碁会館の宮腰紹子先生、国見こども囲碁教室の斎藤武先生、栃木県囲碁学校の桑原敏幸先生、子ども達のためにご尽力いただき、どうもありがとうございました。