保育園という場所の真の役割と、これからの保育士に求められるもの
先月、故郷である札幌に帰省する機会がありました。車を運転しながらふと街の景色に目をやると、ビルの一室にあるような、園庭のない託児施設を数多く見かけました。都市部の待機児童対策として、利便性を最優先に整備されてきた背景があるのだろうと感じます。
また滞在中、古い友人達とのクラス会があったのですが、そこで保育園の話題になりました。日頃、当園で行っている保育や教育の内容を少し話すと、友人から「へぇー、まるで幼稚園みたいなことをやっているんだね。保育園って、基本的には働いている家庭のために子ども達を預かる施設だと思っていたよ」と言われたのです。
この言葉に、私は現代の保育園が置かれている根深い社会的なイメージ、そして構造的な課題を改めて深く考えさせられました。
現在の制度上、保育園の多くは「保護者が働いている間、子ども達を安全に預かる福祉施設」としての側面が強く意識されます。そのため、安全に過ごせる環境さえ整っていれば、それ以上の踏み込んだ教育活動を行わなくても、園として成り立ってしまう側面があります。
しかし、本来の幼児教育とは何でしょうか。
乳幼児期は、人間の心や脳の骨組みが作られる、人生で最も重要な時期です。この時期に、質の高い日本語や漢字、音読に触れ、自分の力で考え、規律を持って行動する自立心を養うこと――それこそが、子ども達の未来の土台を築く本来の幼児教育であると私は信じています。
ここに、現代の保育界が抱える大きな悩みの種があります。
「安全に預かること(託児)」を主とする現場の方が、教育的な専門性を求められる現場よりも、仕事としての負担が少なく見える現実があります。もし同じ待遇であるならば、より負担の少ない方へ人が流れてしまう傾向があるのも、無理のないことかもしれません。しかし、私はこの歪みこそが、現代の保育士不足や、職業としての定着率の低さに繋がっているのではないかと感じています。
長い目で見れば、保育の本質とは「子ども達を豊かに育てること」であり、そこにこそプロとしての本当のやりがいが存在するはずです。単に時間をやり過ごすための預かり役にとどまるのではなく、若いうちから豊かな指導力を身に付け、子ども達への向き合い方を高めていくこと。それによって初めて、この仕事は一過性の労働ではなく、一生をかけるに値する誇りある職業へと昇華します。
私は常々、一緒に働く職員達にこう伝えています。
「ただ子ども達を預かるだけの日雇い人夫になってはいけません。子ども達の未来を創造する『教育者』になりなさい。そうして社会から深く信頼され、尊ばれる人になることで、保育士の社会的地位も上がり、自らの仕事に心からの誇りを持てるようになるのです」と。
「保育園」という看板は同じであっても、その中で子ども達が過ごす時間の質、そして育まれる自立心には大きな違いが生まれます。
子ども達の未来を見据え、その成長の瞬間に立ち会える喜び。これからの時代に本当に必要な、志のある保育者達をしっかりと育てながら、私たちはこれからも子ども達一人ひとりの可能性を拓く教育に、真摯に向き合ってまいります。