作新学院大学リカレント講演に向けて | 園長:吉沢偉仁の思い | 東峰保育園 公式ブログ
~「教育者」の覚悟と東峰方式の真実~
本年度、大変ありがたいことに作新学院大学リカレント(社会人の再学び)講座にお招きいただき、講演をさせていただくこととなりました。
大学の教授陣からいただいたテーマは、『東峰方式の核心 ~よそが真似できない「2つの真実」~』というものでした。
受章の余韻も冷めやまぬ中、周りの流れが速くなり、ただそれに流されて慌ただしく過ごす日々でございますが、「大学で何を語るべきか」を静かに思い返す中で、私自身の30年の歩みと、東峰保育園が到達した教育の真実について、改めて深く思考を巡らせております。
「好きだからやる」という生ぬるい感情ではない
世間一般において、保育園の園長といえば「子どもが好きで、クリーンで、温かな福祉の心を持った人物」というイメージが強いかもしれません。しかし、私自身はとりわけ頭が良いわけでも、特別な才能があるわけでもありません。人付き合いも得意ではなく、周りからはずっと「変わった人」「変な人」と言われ続けてまいりました。
私が30年前に東峰保育園を引き継ぎ、園長となったのは、華やかな情熱や自発的な意志からではありませんでした。
私の10代は、マルトリ(マルチプル・トラウマ/不適切な養育環境)と呼ばれる過酷な環境の中にありました。虐待に耐えかね、自らの人生を守るために高校生で親と別居し、一刻も早く遠くへ逃げたい一心で遠方の大学へ進学しました。
しかし20代になり、実家に引き戻されます。「週に1日出勤して籍を置けばいい、古い家にタダで住んで東京に通えばいい」と言われて住み始めましたが、就職と同時に通信教育で福祉の勉強をさせられ、資格を取るや否や、すぐに園長という重責を背負わされました。さらに、直後に1億円近くの園舎建て替え資金の工面を迫られ、さらには住宅ローンを組まされたことで、物理的にも完全に逃げられない状況へ追い込まれたのです。
隣接する家からの年中無休の監視、残業代も出ない中での昼夜を問わぬ猛労働、夜中の通信教育での学びとダンス指導による生活費の工面――。当時はまさに、心身ともに休まる暇もない過酷な日々でした。
私がこの30年で悟った「1つ目の真実」はここにあります。
東峰保育園が他園の追随を許さない成果(漢字・音読教育、独立自尊の精神、数々の実績)を出してきた本当の理由は、「子どもが好きだから」というような曖昧な感情に頼ったからではありません。避けられない大きな重荷を背負わされたからこそ、「任された以上は逃げずに、最後まで責任を全うする」という退路を断った覚悟があったからです。この「覚悟の深さ」こそが、どんな園も安易に真似できない東峰保育園の強さの根源なのです。
「教員」ではなく「教育者」として、子どもの心に火を点す
国民教育の師父と称された哲学者・教育者の森信三先生は、「教員」「教師」「教育者」の違いについて、次のような鋭い言葉を残されています。
・自らの生活(衣食住)のためにやる人を『教員』といい
・知識や技術を授けることを任務にする人を『教師』といい
・子どもの心に火を点す人 これを『教育者』と呼ぶ
幼少期から苦難の中にいた私は、小学生の頃も勉強ができず、強い劣等感と生きづらさを抱えていました。しかし、中学生の時に出会った教頭先生の熱心なご指導により、わずか半年でクラスで一番の成績になるという体験をしました。
その時、人生で初めて「努力は報われる」という事実を知り、「教育こそが子どもを幸せにする」という信念が生まれました。自分が幼い頃に辛い思いをしたからこそ、園児達には絶対に同じ思いをさせたくない。その強い決意が、私の教育の原点です。
そして私にとってもう一つ大切なのは、「教養こそが人生を豊かに生き抜くための武器である」という考え方です。例えば『ドラゴンクエスト』でモンスターのいる危険なダンジョンに入る時、武器も防具も持たず素手で入っていく人はいないでしょう。世の中という厳しい現実を、無知のまま素手で渡っていくのはあまりにも無謀です。だからこそ、子ども達には人生を生き抜くための確かな「教養」という武器を授けたいのです。
だからこそ、私は東峰保育園において、単に知識を与えるだけの「教師」や、預かり作業をこなすだけの「教員」で終わるつもりはありません。子ども達の魂に火を点し、一生涯にわたって自分の力で立ち、深く思考し、社会に貢献できる「独立自尊の人間」を育てる「教育者」としての実践を追求しています。これが、東峰方式の「2つ目の真実」です。
「借り物の看板」と「深く根を張った大木」の違い
現在、幼児教育界を見渡すと、高額なコンサルティングに理念を作らせ、話題の外部プログラムや市販の教材を買い集めて形だけを取り繕う園が少なくありません。しかし、自らの頭で「なぜこの教育が必要なのか」を考え抜いていない教育は、風が吹けば倒れる「根のない木」と同じです。
当園が実践している漢字の音読や石井方式、そしてさまざまな研修や最新の指導法を参考にしながら自園で研究・開発を進めている体育プログラムなども、単なる形や流行で採用しているわけではありません。すべては子ども達の「自律心」「レジリエンス(折れない心)」「確かな地頭(思考の回路)」を育むという、一貫した教育哲学のもとに試行錯誤を重ねて構築した「手段」なのです。
37歳の時に生死に関わる大病を患い、一生付き合う難病と向き合う中で再読した『学問のすゝめ』。あの病床で誓った「本物の教育をしたい」という信念が、今の東峰方式の全ての根底に流れています。
リカレントの受講生へ伝えたいメッセージ
人生には、自分の意図しない重荷や不条理を背負わされる瞬間があります。逃げ出したくなるような環境に置かれたとしても、自分にできることと誠実に向き合い、愚直に自分の責任を果たし続ければ、それはやがて誰も真似のできない「本物の実績」となり、自分自身の誇りとなります。
作新学院大学の講演では、表面的な成功ノウハウなどではなく、様々な試練から逃げずに30年間現場を守り抜いてきた一人の人間としての「真実の言葉」を、受講生の皆様にお届けしたいと考えております。
責任感の先にしか生まれ得ない「本物の教育」の姿を、心を込めて語らせていただきます。皆様とお会いできますことを、心より楽しみにしております。
吉沢偉仁