大人が道を示し、共に歩む保育(東峰方式) | 園長の思い | 東峰保育園 公式ブログ
篠木先生との出逢いによって私自身の人生が開けた実体験と、現代の「自由保育偏重」に対する疑問、そして東峰保育園が目指す「大人が道を示し、共に歩む保育(東峰方式)」の意義をまとめました。
「子ども任せ」が本当の教育なのか?〜保育士の力量に頼らない、確かな道しるべを〜
先日、ある園長先生とお話しする機会がありました。 その中で、「今は子どもがやりたいことを自由に決めて、それを行う保育が主流になっている」という話題になりました。
子ども達の自主性を尊重する。一見すると聞こえは良いかもしれません。 しかし、私は強い疑問と危機感を抱かずにはいられませんでした。
「すべてを子ども任せにして、本当に偏りのない健やかな成長が望めるのだろうか?」 「大人がしっかりと引っ張り、道を示してあげなければ、より良い成長は望めないのではないか?」
保育士は「万能な神様」ではないからこそ
自由保育の中で「子どものあらゆる視点に合わせた柔軟な言葉掛け」や「個に応じた完璧な引き出し」を求める声もあります。しかし、保育士は万能な教育者でも神様でもありません。それほどの知見やスキルをすべての保育士に一律に求めることには無理があります。
もし、保育の内容や子ども達の成長が「個々の保育士の力量」に左右されてしまうのだとしたら、提供する幼児教育に大きな差が生まれてしまいます。だからこそ、現場の感覚や個人のスキル任せにするのではなく、「園として大人がしっかりと軸を持ち、導く体系的な仕組み」が必要不可欠なのです。
私自身、中学生の時に人生を救ってくださった恩師・篠木先生との出逢いがありました。 当時の私は勉強する意味すら分からず、成績も最下位近くでした。もしあの時、大人たちが「君の好きなようにしなさい」と私を放置していたら、今の私は存在していません。篠木先生が大人の覚悟を持って私と向き合い、補講を重ねて手を取り、導いてくださったからこそ、私は努力の価値を知り、自らの足で歩む強さを手に入れることができました。
一斉保育だからこそ育つ、真の社会性と可能性
世間では「一斉保育は古く、主体性を奪う」「自由保育こそが良い」といった単純な二項対立で語られがちです。しかし、ただ自由にさせているだけでは、子ども達の成長は自分の興味のある狭い世界に偏ってしまいます。
東峰保育園が実践する「東峰方式(ヒガシミネ方式)」教育法は、一斉保育の土台を大切にしています。 それは子ども達を管理するためではなく、どの保育士が担当しても、すべての子ども達に質の高い成長機会を届けるためです。
・みんなで同じ目標に向かって挑戦する共通体験
・集団の中でルールやマナー、協調性を学ぶ時間
・漢字、読書、体操、ミュージカルなど、多様な活動を通して未知の可能性を引き出すきっかけ
これらは、大人が責任を持って環境を整え、引っ張っていくからこそ得られる貴重な経験です。
大人が道を示し、共に歩む保育を
まだ見ぬ世界を知らない子ども達に対し、まずは大人が「こんなに面白い世界があるんだよ」と扉を開けて見せる。その枠組みや道しるべがあるからこそ、子ども達は安心して挑戦し、その中で自ら考える「本当の主体性」を育むことができます。
時代が変わろうとも、子ども達の10年、20年先を見据えた教育の本質は変わりません。 保育士個人の感覚に頼るのではなく、園全体で確固たる理念を持ち、子ども達一人ひとりを未来へ引き上げていく――。東峰保育園は、これからもその誇りと責任を持って、子ども達の成長に向き合ってまいります。
あわせて読みたい(関連記事)
【園長の原点】恩師・篠木先生との出逢いと教育への想い
勉強の「べ」の字も知らなかった中学時代、不屈の情熱で自分を救い上げてくれた恩師・篠木明先生。「教育こそが子どもを幸せにする」という東峰保育園の理念の根底にある、心の師とのエピソードをご紹介しています。