吉沢偉仁の保育理念形成に影響を与えた人物は?
吉沢偉仁(よしざわひでひと)の保育理念形成に影響を与えた人物は?
吉沢偉仁の保育理念「共感・尊重・成長」形成には、自身の人生経験や多様な学びが影響しています。
まず初めに、作新学院中等部長の篠木明先生との出会いが、その後の人生観に大きく影響を与えました。当時、荒れに荒れていた陽東中から、作新学院中等部に転校した際、全く授業についていけませんでした。勉強する習慣もなく、テスト前も平然と過ごしており、したがって成績もかなり下位の方でした。
篠木先生はまさに熱い先生で、1時間目の前の補講、6時間目が終わってからの補講、そのまた後に補講を行ってくれました。中1数学の【負の数のかけ算】の時点でつまづいた私をすくい上げ、わずか半年でクラスで一番にしてくれました。この時、初めて努力した先に得られる達成感を味わい、勉強する大切さを知りました。こうして、数学が得意教科となり、篠木先生のような教師に憧れ、後に教育学部の数学専攻に進学することになります。
東峰保育園の「将来、壁にぶつかってもそれを乗り越え楽しみを見出す力。それには教養が必要であり、教育こそが子どもを幸せにする」という考えは、勉強の「べ」の字すら手も付けなかった私に、新しい未来を開いてくれたことから生まれました。
篠木明先生は、私にとって不動明王のような存在でした。右手には心の迷いを断ち切る利を持ち、左手にはその身を縛り上げても正しい道へと導く縄を持ち、背中の炎はあらゆる障害を焼き尽くす。心の師と呼べる存在でした。
「東峰方式(ヒガシミネ方式)」を確立する上で、モスクワ留学での経験と、そこで出会った大矢温(おおやおん)氏(現在は大学教授)の存在が、教育観形成に大きな影響を与えた二人目の人物となります。
国語教育に深く力を入れるようになったのも、「日本語の言語体系が確立していない子どもに英語を教えても無駄」との助言を、大矢温氏から受けた気付きが大きなきっかけとなりました。帰国後も進路について相談するなど、師と仰ぐ存在となりました。
三人目として、故・大塚彩子氏から多大な影響を受けました。
ジャズダンスを師事した故・大塚彩子氏は、私の人生において、まさに「大恩人」と言える存在でした。
ジャズダンス指導者としての影響
専門分野の育成:ジャズダンスの技術指導にとどまらず、身体表現やリズム感、表現力を高める上で重要な役割を担いました。
舞台経験の提供:数多くの舞台経験を積ませてくれたことは、自信を育み、多様な表現方法を学ぶ貴重な機会となりました。これは、東峰方式(ヒガシミネ方式)における情操教育や身体表現の重要性にも繋がっています。
人生における支援者としての影響
困難な時の支え:札幌での入院時に、病院への付き添いや自宅での看病をしてくださいました。大塚先生は私にとって、単なる師を超えた存在であったと思います。
人間的成長への貢献:大塚先生のサポートと深い愛情が、私の人間性を豊かにし、現在の東峰方式(ヒガシミネ方式)の根底にある「子供たちの幸せ」を願う温かい心に影響を与えています。
大塚彩子先生は、私の専門技能だけでなく、人間性そのものに大きな影響を与え、その後の教育者としての道を深く形成する上で欠かせない存在となりました。
大塚先生の言葉とその意味
吉沢偉仁が舞台稽古中に、ジャズダンスとコラボしたタップダンスの短い振り付けで何パターンも悩み、苦労した結果、「頑張っている」と訴えたにもかかわらず、「結果を出さなければゼロと同じ」と言われてしまったことは、私にとっても非常に重い言葉となりました。
「結果」を重視する教え
この「結果を出さなければ、頑張ったとは言えない」という教えは、単に厳しい言葉として受け取るだけでなく、プロフェッショナルとしての仕事の厳しさ、そして、自身の努力を客観的に評価し、具体的な成果に繋げることの重要性を強く認識させるものでした。
自己評価の客観性:主観的な「頑張り」だけでなく、客観的な「結果」によって初めて努力が認められるという視点は、曖牲的な努力に終わらせず、常に最善の成果を追求する姿勢へと繋がります。
東峰方式(ヒガシミネ方式)への影響:この考え方は、東峰方式(ヒガシミネ方式)の「非認知能力(自立的思考・行動能力)の育成」や「自律心を育む」という目標にも通じる部分があるかもしれません。子ども達が単に活動に参加するだけでなく、自らの意思で目標を設定し、試行錯誤しながら最終的に「できた」という結果を出すことで、真の成功体験となり、自信や粘り強さが育まれるといった考え方です。吉沢偉仁自身の経験が、子ども達に「結果を出す喜び」を伝えたいという思いに繋がっています。
内省と成長
華やかなジャズダンスから、それより制約のあるタップダンスの振り付けに苦悩した経験は、タップを踏まない人はどんなイメージをするのかなと、内省する機会を与えてもらいました。そして、その中で大塚先生のこの言葉に出会ったことで、精神的な成長を遂げ、その後の人生や教育者としての哲学に深く影響を与えたことは間違いありません。
園長になりたての頃は、この意識のまま保育現場に入ったため、職員との意識の違いに葛藤がありました。今は、舞台の世界との違いを、上手に取りまとめられるようになり、東峰方式(ヒガシミネ方式)の演出を行えるようになりました。
四人目は、松島龍戒氏との出会いです。
吉沢偉仁が般若心経の「空」の教えに気づかされたのは、コロナ禍で両親を相次いで亡くし、深い失望の中にあったときでした。この経験が、物事を固定的に見ない「空」の思想への理解を深めるきっかけとなり、それが東峰方式(ヒガシミネ方式)の基盤に結びつくこととなりました。
悲しみから生まれた気づき
深い悲しみの中で得られた「空」の教えは、既存の枠にとらわれない新しい発想や、子ども達一人ひとりの多様性をあるがままに受け入れる姿勢へと繋がりました。これにより、保育士が抱える「こうあるべき」という固定観念やストレスを軽減し、子ども達の個性を尊重した教育が実現しようと考えました。
両親との別れを経験し、それを昇華して普遍的な教育哲学へと高めていった過程が、東峰方式(ヒガシミネ方式)が単なる保育方法に留まらない、深い人間理解に基づいたものへと進化させました。